[石戸真央はこんな人]
私は青森県の下北半島(すごい田舎)出身の両親の間に長女として生まれました。 小さい頃はおっちょこちょいで怪我が多かったようです。昔から性格はおとなしい方で幼い頃からリア充な人たちに憧れていました笑

中学校から始めた吹奏楽にどハマりし高校受験では県立高校ではそれなりに強豪校を受験したのですが無念の不合格。なくなく、千葉市内の私立高校に進学、南海キャンディーズの山ちゃんの出身校というのは有名な話です。実際 入ってみると結構楽しくて…。高校時代の思い出といえば部活。 吹奏楽部!!1に部活2に部活3度の飯より部活が好きでした。今思い返してもあれほど熱中できた事柄は他にはありませんでした。そして何気に2004年、2006年と野球部が甲子園に出場して吹奏楽部としての務めをはたしました。

高校を卒業して昔からの夢だった看護師になるために看護学校へ。しかし、自分の中で思い描いていた現実とは違い1年で中退。とてつもない敗北感を味わいました。その後はアルバイトをしながら自分探しをしていました。悩んだ末に、今まで興味のあった美容の世界に飛びこもうと決意。市原市内の店舗に7年勤務し退社。退社後に人生初の一人旅に挑戦。中国、四国地方を周る旅で、人とのつながりの大切さや、ひとまずやってみる、挑戦してみる、そしたら結局なんとかなる。そんなことを痛感できた旅になりました。その後元オーナーに誘って頂いてアンドライフのオープニングスタッフになり現在に至ります。

[私が美容師になったきっかけ]
実は私、美容にはすごく疎くてどちらかというと、興味はあまりある方ではなかったんです。ですが、高校時代に通っていた美容室でヘアの撮影モデルやコンテストのモデルを経験したことが大きなきっかけで看護学校を辞めた後にさらにその思いは強くなっていきました。やっぱり見た目はとても華やかな仕事に見えたし、仕事をしている美容師さん達がとてもイキイキとキラキラして見えました。私もこんな仕事に携わってみたい と思うようになりました。どちらかというと、ネクラで、人見しりで不器用と美容師にとって、なくてはならない人とのコミュニケーションがとっても苦手だったのです。だからこそ、こんな私がキラキラと輝いた美容師さんになれたらこれって凄いことかも??そんなふうに思うようになりました。

私にとってリア充度がNO1に高かそうな美容師さんになれればきっと私もそうなれると勝手に思い込んで半分勢いでこの世界に飛び込みました。ですが現実はそう甘くはありませんでした。自分を変えることがすごく難しく最初はお客様との会話が全くできない、失敗ばかりの毎日でした。私は働きながら美容師免許が取れる、通信制のある美容学校に入学し基礎を学びながら国家試験の合格を目指しました。3年間通いいざ国家試験です!!なんとか合格しそれからというもの、必死で練習しました。

あんまり人に自慢できることが少ない石戸ですが、一つだけ人には負けない部分があると思っています。それは 努力をし続けること です。コンプレックスの塊だった私が人より……いや人並みになるには技術だけでなく、色々なことに人よりも努力する事が必要という事に気がつきました。毎日の朝練はもちろん、夜も遅くまで残って必死に練習しました。努力は人を裏切らない・・・天才は努力の天才そんな言葉を信じて。そんな苦い思い出ばかりの石戸でしたが、時間がかかりましたが、今ではコミュニケーションも大好きに。

昔の自分と比べると言葉に表せない位に成長した気がします。そしてまだまだ伸びしろはあると思っています。私の美容師としての心構えはお客様の悩みをとことん聞いて差し上げるという事です。一人一人のお客様のコンプレックスまではいかないけど髪の悩みを解決して、
素敵な毎日を過ごしてほしい。

髪型が変われば気分が変わる、気分が変われば新しい事に挑戦しようと思える、新しい事に挑戦すれば人生が変わる、人生が良いものに変われば自分に自信がつく、自信がつけば何事にも前向きになれる、そんな事が本当にあり得るとおもっています。そして私にそのお手伝いができたらいいなとおもっています。是非一度、アナタの髪のお悩みを聞かせてください。最後までお読みいただきましてありがとぅございます。是非ご来店お待ちしています。